昔は情報源と言えばテレビ・ラジオ・新聞だった。
そこにインターネットが登場した。
そしてインターネットにSNSが登場した。
そして現在、テレビやラジオはSNSに投稿された内容を情報源としてニュースの構成をする、または、インターネットからメディアに寄せられた動画や情報の裏どりをして放送するようになった。
SNSは裏どりもしていない情報をまことしやかにつぶやき、これまた裏どりもしていない情報を基に動画サイトで私見を述べて話題を呼ぶことに躍起になっている。
SNSや動画サイト上では誹謗中傷や誤情報の嵐、その誤情報に対してこれまた裏どりをしていない憶測だけで私見を述べ拡散され、そこにさらに私見が加わっていく。
放映権や著作権、肖像権などおかまいなしに、テレビやインターネット上の動画を切り取り、字幕をつけて私見を述べることで話題を呼ぼうとする。
そしてこれらの権利侵害をしていても、匿名性に守られ、侵害された側はわざわざ訴え出ることもなく見て見ぬふり、もしくはそれが拡散されることで宣伝になると思っているきらいすらある。
最近とある知事の周りで2人もの人が若くして亡くなっているが、法的に直接何かを行ったのではないから罪には全く問われることもない..。
もうこの世の中理不尽極まりないことだらけ。
年末に撮りためた「ALWAYS 三丁目の夕日」の3シリーズを昨日やっとすべて見終えた。
昭和はよかった..。目に見えている、面と向かって収集した情報がすべてで、時間も今よりずっとゆっくり流れていたのだろうな。
今後は生成AIがネットに放流された適当な情報を学習し、それが正しい答えとして認知されていく時代になるだろう。
そしてその後は..もうターミネーターで描かれている世界になるのかもね。
【2025年1月28日 追記】
そうそう、これを思うきっかけになったのは、文〇砲なる某雑誌のスクープ。特に芸能ネタなどはこれで報じられることに端を発してSNSなどで憶測や事実でないことが「か?」「思う」「個人的には」という曖昧な言葉を付けて拡散し、事実なのかそうでないのかが分からなくなり、印象で押しつぶされていくというのを何度も見ているから。
最近起きたところでいえば、人気アイドルグループの一人が女性とトラブルになって引退に発展、その女性が所属していた某テレビ局が窮地に追い込まれているというもの。
これの端緒は、女性問題が発覚し、本人が認め、テレビ局の人がパーティに女性を参加させ、直前にキャンセルして2人きりにさせたことで問題が発生したというものだったのだが、2025年1月にウェブ記事上でスパッと訂正し、スタッフが誘ったものではなく本人が誘ったものと訂正している。
間違いなく誤報だと思うのだが、誤報であっても後から訂正しますた~とすればいいのか?それも言論の自由なのか?甚だ疑問であり、これによって本人、女性、スタッフ、テレビ局が振り回されているのを見ると言論による間接的、恣意的な暴力なのではないかとすら思えてくる。
まあ一庶民である私にそのような災い?が降りかかることはまずないが、人の人生が人気取りのための言論ともとれるものによって左右されてしまう、そしてそれを自身で調べもせずにあーだこーだとSNSで述べる..本当に恐ろしい時代が来たと痛感する。