50を過ぎると、いろいろとできなくなることが増えてくる。
というよりも、やらなくなるからできなくなると言った方が正しいのだろう。
顕著に変化が出るのが視力。
私はもともと近眼+乱視で眼鏡がないと全然見えないという暮らしをしてきた。
そこに40代後半から遠視(いわゆる老眼)が進行してきたことで、ピントの合う距離がどんどんずれてきて、今では確実にピントが合っているというところがなくなった気がする。
さらにコントラスト感度が落ちてきて、明るくないと見えないけど明るいと眩しいというよく分からない状態になってきて、特にパソコンの画面なんかはバックライトや部屋を明るくした状態でよく見える時もあれば、逆にどんなに頑張ってもピントが合わず、ただただ眩しいだけという時もある。
調子が悪くなると大変、たとえば8と6、I(大文字のアイ)とl(小文字のエル)、「,(コロン)」と「.(ピリオド)」など、文字を大きくしようが、画面の明るさを変えようが、どうしても見えない時が増えてくる。
最近気づいたのが、飼い始めたメダカの稚魚が見えなかったこと。いわゆる針子と呼ばれる稚魚でほっそい棒のような状態なのだが、眼鏡を外しても、笑える位全く見えない..。
日常では、買い物をするときの値札が見えない、商品パッケージの説明が見えない。これらは眼鏡を外せば見えるが、それも面倒だから何となく見えた!という感覚で判断することが多くなった、というか1,680円でも1,860円でもどっちでもいいか..となる時もあるようなないような。
うまく見えないから「まあいいか」という機会が増え、買い物でいえば必要・不要の判断ではなく「よく見えなくて分からないからまあいいか」となってしまう、パソコンで何かを書く(特にプログラム的なものを書く)場合も、見えないと感じる時は「まあ今日はやめておこう」となりあきらめることが増える。
そうしているうちに、本当にどうでもよくなって、興味がなくなる、やらなくなる..で気づいたらできなくなるという流れになっている。
次に体力面。
これは翌々日以降に起きる筋肉痛やケガを必要以上に恐れてやらなくなることが一層体力低下に拍車をかけている。
以前は意味もなく?よく走っていたように思うが、最近では走ることはほぼなくなったというか、走らなくても済む方法を考えるようになったというか、どうやって走ったらいいのかすら分からなくなってきたというか、そうしているうちに、走ることはおろか、とっさにどう避けるかという能力も低下してきていると感じる。
趣味や実益のためにどこかへ行く、何も買わないけどとにかく見て回るというようなことも、見て回るのも結局疲れるだけだしなんて思って、全然しなくなってしまった。そのうちに以前は興味があったこともどんどん興味が失せていく感じ。
最後に歯。ずっと前から歯は悪くなっても放置していて、時折腫れて痛んだら鎮痛剤飲んでやり過ごしてみたいなことをしていて、およそ1年前に本当にどうにもならない痛みが出て歯医者に通い始め、いろいろなところを直して腫れることはなくなった。
ただ歯は「治す」のではなく、被せ物などをしたりして「直す」もので、結局は元の状態には戻ることはなく、そのうちダメになるものを延命させているだけの状態。
確かに噛めるところは増え、痛くて大変ということもほとんどなくなり、成果があったことは事実だが、以前のように硬い物を選択しなくなったことで食べるものの範囲が狭くなって、楽しく食べるというよりは、生きていくために食べてるって感じ。
いつまで生きるかは分からないけど、このまま進んで60歳70歳になったらいったいどうなるんだろう..なんて恐怖すら感じる今日この頃。
何かしないとなぁ..と思いながらも見えない動けないで悪循環の日々。
どうしたもんかなぁ...。

