冬、私の定位置はこたつに座椅子と決まっている。
そして我が家のモモの冬の定位置は、こたつで座っている私の膝の上と決まっている。
これが一日何時間も続くから、結構膝や腰にダメージが来る。
でも..モモは今年で10歳、このいつもの冬を何回過ごせるのかと考えてしまうと、無碍にどいて!と膝から降ろすこともできない。
特にこんな顔されたら..猶更だよね。

同じく冬、私が眠っている時、モモはほぼ100%一晩中私の布団の上か中、布団の上で私がいることが確認できるようにするためか、寄りかかるようにして寝てるか、時折布団の中に「い~れ~て♪♪」と手でチョイチョイしてくる。
そんな冬もあと何回過ごせるんだろうかと考えるとちょっと寂しくなってくる。
生き物と暮らすということは、つまりは必ずどちらかがどちらかを看取る時が来るということ。
もしも何かがあって私が先にということになればモモはどうなる?と思うから、健康でいようと思うけど、そうなると必ずモモを看取ることになるのか..。
モモのいない世界ってどんななんだろう。逆にモモがいなかった頃はどんなだったっけ..。
見た目にはまだまだ若く見えるモモも、そろそろ腎機能に翳りが見えてきてるのか?尿量が増えてる気がする。
ただ、毎日飲み水を取り換える時の残量を見る限りではそれほど以前と変わっている感じはないから、システムトイレの下に敷いているトイレシーツがすぐにぐちゃぐちゃになるのは冬で蒸発量が少ないからかも..なんて楽観視している..というか楽観視していたい自分がいる。
我が家では、外でお世話してきた猫を何匹も看取ってきた。
もちろんその都度心に穴が開いて、悲しみに暮れる日々が続いたが、そこにはモモが必ずいた。
でもあと何年かして、モモにその時が来たら..当然だけどもうモモの代わりはいない。
そうなったらいったい私は、我が家はどうなるんだろう?
今も膝の上で私の顔をじっと見て、ゴロゴロ言ってるモモがいる。
その時が来たら、ペットロスなんて言葉では片づけられない位の大ダメージが来るのだろうな。
そして私自身、何匹かの猫たちを看取った時と違って外で働くようになり、家を空ける時間が増えた。
モモが最期に近づいた時、最期の時を一緒に迎えることができるのだろうか..最後の最後に寂しい思いをさせてしまいやしないか..。
季節関係なく、そんなことをふと思う時がある。
モモのいない世界、今はちょっと考えられんなぁ...。
これからもっと長~く長~く一緒にいようね、モモ。

