歳をとると変化していく記憶の形

公開日:2025(令和7)年7月14日/最終更新日:

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若かりし頃のことはすぐに出てくるのに、最近の記憶が結構曖昧になってきた今日この頃。

そもそも最近というよりは直近の記憶が結構曖昧になってきている感じがする。

以前に書いたこんな日記..

例えば..

車から降りてしばらく歩いた後に、あれ?ロックしたっけ?窓閉めたっけ?

外出するときに家を出てしばらくしてから「あれ?電気消したっけ?鍵閉めたっけ?」

買い物をして店から出てしばらくしてから「あれ?財布仕舞ったよね?お釣り仕舞ったよね?」

これを買わねばと思って店に入るも、買い物を終えた後や家に着いた後で「あ!あれ買うの忘れてた..」

仕事中、きちんと漏れなくこなしているにも関わらず「あれ?〇〇したっけ?」

それも直前に行った作業でも不安になることがある。

大抵自信がなくて再確認するとほとんどの場合大丈夫なんだけど、ほとんどというのがミソで、たまーーーに「やっぱり..」というのがあるから始末が悪い。

この「やっぱり..」があるからとても不安になる。

ただ..冒頭で書いたように、ずーっと前のことは本当によく覚えてるんだよね。

特に失敗した経験なんかは夢にまで出てくる位で「忘れなさい」と言い聞かせてもダメっぽい。

これが加齢によるものなのか?いわゆる認知症の始まりなのか?よく分からないけど、若い頃は何でもかんでも記憶の片隅に残ってて、〇か×かがはっきりしていたものが、どんどん△になっていってる。

多分これは素早く判断して動いたか、ゆっくりと判断して動いたかという問題ではなく、本当に記憶の仕方が変わってきてるのだろう。

昔は「そんなこと言っていない」とか「それ間違ってる」とか、「そういえばいつぞやには〇〇だったよね」とか自信を持って言えてたけど、ここ数年ですっかり自信がなくなって「ああ..〇〇だったかも知れないね」と半ば誤魔化すようになったと感じる。

まあそれでトラブルにならず、人間関係も悪くならないならそれでいいのかも知れないけど、間違いだと知ってて曖昧にするのと、今のように記憶が不安だから曖昧にするのとは意味が違う。

これは記憶をしようという努力が失われているのか..記憶と消去を行う脳の機能が衰えていっているのか..何ともいえないところだ。

何でも検索やAIに聞けばそれらしい答えが簡単に得られる時代、覚えておこうと考えず、また調べればいいという思考の変化が、記憶するという能力を低下されているのかもしれない。

あーーー、昨日ある歌の英語の部分を何と歌ってるのかが分からなくて、調べて何度も口ずさんだはずなのに..もう今は忘れてる...。これも多分また調べればいいやと脳がサボっている状態なのかもね。

昔の歌の歌詞は何十年経ってもさっと出てくるのにね..。

いやはや何とも....。

このブログ、本当に他愛もないことだけ書いてて、誰の役に立つでもない内容ばかりだから一日のアクセス数も雀の涙、毎日のようにもう閉鎖していいのでは?と思うけど、まあ自分史としてもうちょっと続けてみるか..。

ただ、何か新しいものにチャレンジしたり、新機軸を手に入れたりというのがないし、探そうともしてない自分もいるから本当に何も興味がなくなったら止めるとするか。

隣で寝てるモモが、多分夢を見てるのか「ウウーン」と言ったり、いびきをかいたりしてる。

歳をとると変化していく記憶の形|Ordinary Life

かと思えば、今パッと目ざめて「ワワーン(俺は腹が減った)」と鳴き、ごはんを食べてまた元の位置で寝る。

飼い主が着替えると「またたびの粉をよこせ」とついて回り、遊んでほしいと噛んでくる。

ブラシを持つと駆け寄ってくる。

実に単純明快な反応だが、〇〇しよう、〇〇がないと思い悩むよりも、それ位でちょうどいいのかも知れない。

なかなかテラリウムのアイディアが湧かない..というかやる気が出ない..
なかなかテラリウムのアイディアが湧かない..というかやる気が出ない..