昨日仕事中に信号待ちをしていた時の出来事。
タイヤがおおよそ破損しかかっている乳母車(手押し車のような感じ)に何かの荷物を積んで車に近づいてくる老婆と思しき人。
頭を下げられたので窓を開けると、「電話したいので100円もらえないか」と言う。
一見して暮らしに行き詰まっている感じが伝わってきたが、持っているにも関わらず無下に「持ってない、ごめんね」と、いうと、前方方向に歩いて行った。
しばらくして信号が青になったので発進。
信号の角付近でいろいろな人に避けられながら、歩くその人を横目に見ながら通り過ぎて仕事を続けた。
今日雨だったし、結構気温も下がってきてるけど、あの人どうしてるんだろう..なぜか今でもとても気になっている。
もう多分2度と出会うことはないだろう。
でもあの時どうしたらよかったのだろう。
何台も信号待ちで停まっている車の中でどうして私に声を掛けたのだろう。
たとえ私でなかったとしても、声をかけるのにすごく勇気がいっただろうに。
私の目の前で歩いているうちに何人もの人とすれ違ったりしてるのに、その人達に声をかけなかったのはなぜなんだろう。
もちろんあの時、返ってくることのない少額のお金を渡していたとしても、その人の今日はどうなっているのかも分からないし、この先どうにもならないだろうから、甘やかしてはいけないと考えるのが普通だろう。
現に私はそういう対応をした。
そうした人のために、日本にはセーフティネットが確かにある。
でも、一旦社会から離れてしまった人が、いったいどうすればそのセーフティネットにたどり着けるのか。
いったい誰が手を差し伸べてくれるのだろうか。
昔私が精神的にどん底にいた時に毎日・毎時間・毎分ごとに思っていた「いったいどうすれば?」「いったい誰に?」というのが蘇ってきて、なんだかモヤモヤする。
今でこそ、家族に恵まれ、少ないながらも収入を得られるまでに社会復帰もでき、今日も雨風に当たらないところでこんな日記を書いていられる自分が、あの時本当にあきらめていたら、手を差し伸べてくれる人がいなかったらなかったのかも知れないと思うと、他人事とは思えなかった。
でも、昨日のあの時は戻ってこないし、何もしてあげられなかったのも事実。
このモヤモヤが晴れるまでにはちょっと時間がかかりそうだ。