このドメインでアーカイブにしている旧サイトを知っている方、このサイトの日記を以前から読んでいる方なら分かると思うが、私もかつて地域猫活動なるもののお手伝いというか、かわいがり&えさやりをしていたことがある。
最初は、この辺りに猫ちゃん結構いるなあから始まり、なんとなく警戒せずに寄ってくるから何かあげてみよっかへと続き、いつの間にかその場所にいる猫たちを毎日必ず見に行ってお世話するようになり、しまいには以前に関わっていた人たちがいつの間にかいなくなって..みたいなことを経験した。
今そこにかつての猫たちはいない。
これも日記を見てもらえば分かることだが、最後の1匹を除いて全員看取ってきたから(最後の1匹は姿が見えなくなって心配していたところ、以前お世話していた方が保護して看取ったらしいという話を聞いた)。
つまり、一度関わったら、最期まで面倒を見る覚悟がいるということ。
逆を言えば、最期まで面倒を見る覚悟がないなら、最初から関わらないでおくという覚悟が必要だということ。
今になって思い出す偶然会った人に言われた「かわいそうと思う、かわいいと思うなら飼えばいい」という言葉。その時は「ここにいることがこの仔たちの幸せで、その幸せの手伝いをしている」と思っていたが、結局最後を我が家で看取ったのだから、途中かわいいかわいいで歯をダメにするような粘性のおやつをバンバン与えられる前に、腎不全を起こす前に保護していれば、その仔たちはもっと長生きできたのかも知れないと考えると、最初から我が家で引き取ればよかったのかな?と後悔する部分もある。
でも当時は全員を引き取ることなどできなかったのだから、これが私ができる最善の策だったと思っている部分もある。
これが前者のような体制でできもしないのに保護を繰り返していたら、世間で度々話題になる多頭飼育崩壊となっていたかも知れないわけで、「できもしないのにこんなにたくさんの猫を家で飼って..」と思う反面、私もそうなっていたかもしれないと恐怖を感じる部分もある。
私が看取った仔たちを最後に外にいる猫を見かけても一切かかわらなくなったきっかけは、当時からあった捨て猫問題。近所の公園で何かを置いていった人がいるなぁ..と近づいたらそこに子猫が捨てられていたということもあったし、車が路上に停車して何かを捨てて去っていった、何だろう..と近づいたら子猫たちが一斉に逃げてどこかへ行ってしまったということに遭遇したこともあり、こんなのキリがねぇ!!と思ったし、こんなのを全部拾い上げていたら個人でやり切れるものではないと感じたから。
だから、今近所で見かける数匹の猫たちも寒いんだろうなぁ、ごはんは食べてるかなぁなんて思うけど、決して相手をすることはしない。その仔の一生に責任を取れないから。
もしもたまたまでもこの日記を読んだ人で、今関わっている猫たちがいるなら考えてほしい、生涯責任をもってお世話する覚悟があるのかどうか。もしも覚悟がないなら、本当にかわいそうだし、申し訳なさを感じるとは思うけど今すぐ関わるのをやめてほしい。
特に定期的に主食や水を与えているのではなく、気の向いた時にだけ嗜好性が高いだけのおやつをあげているような人、その仔は毎日生きているんだ、と言いたい。