生き物と一緒に暮らす、いつかこの日が来る、それは最初から分かっていたこと。
でもやっぱり最期を看取るのは、本当に辛い..。
3月4日から一気に体調を崩したココ。
あれからは水を少量飲むだけで何も食べない日々。
だんだん痩せていく、だんだん足がおぼつかなくなる..。
数年前にも、茶くんで同じ経験したよな、と振り返る。
覚悟はとっくにしていた、つもり。
でもやっぱりその時が近づいてくると...何とも言えない感情が湧いてくる。
ココはもともと人生の大半を外猫として暮らしてきた。
だから、はいお医者さんいくよ!という関係には、残念ながら2年半経過した今もなれていない(なれなかった)。
猫と暮らす人の中には、どうしても一緒にする時間を延ばしたくて、毎日のように病院へという人もいるだろう。
そしてその人からすれば「何でできるだけのこと(病院へ行くこと)」をしてあげないの?お金をかけるのが嫌なの?そんな人は最初から飼うべきじゃないのでは?と感じるのかも知れない。
ただね、茶くんの時に決断したんだ。
知らない場所(病院)へ何度も連れて行って、完治ではなく延命のための注射や補液をすることは、人間のエゴ。
だから、本当に自然に、その仔の「生きたい」力に任せようって。
茶くんの時は毎日補液して、食べたくないフードをとっかえひっかえ与えて何とか..で、結局摂りたくもない水や食べ物が消化されてヨロヨロしながら亡くなる直前までトイレへ行ったり来たり。
それが茶くんのためだったのか?やっぱり我が家としては、人間のエゴで長く息をしていてほしいというだけなんだろうという結論に至った。
だから、ココもそうしたし、もちろんもうすぐ6歳になるモモも、先々そうなったとしても同じ行動をする、これは変わらない。
ただね、2年半前にココの娘のトラが急死してすぐに我が家へココを保護したことで、その冬も、その次の冬も暖かい環境で過ごせ、何度も訪れた食欲不振のピンチも乗り越えられた(乗り越えさせることができた)。
それがココにとって幸せだったかどうかは、今まさに瀕死の状態となっても、ヨロヨロとしながらも寄ってきてくれることが何よりの答えだろう。
幸せだったよね?ココ?
そういえば、最近ずっと来なかったのに、今朝起きたら寝室の私の傍にいた。
元気だったころは「アオっ」「アオっ」て腹減った~と催促しにきたのと一緒だった。
昼食の時にはおぼつかない脚で私の横に来てくれた。
その後ぐったり...。ひょっとして挨拶だった?
もう段を上ったりするのもしんどそうだし、人がうろうろしたり音が聞こえたりするのも落ち着かないだろうから、ココを保護した時の環境(別室)を用意して移動させた。

環境を整えながら思わず「これココが来た時と一緒だな..」。涙があふれてきた..。
それまで寝てたドームベッドごと移動するも、何も反応がない。
いよいよなのか....。
でもココはやっぱり段ボールハウスが好き?で自力で移動した。

これでゆっくりできるね、ココ。
ほとんど動かないけど、いつまで..だから動画を撮った。
昨日(下の動画)よりも明らかに衰えてる。
いつまでこの状態で息が続くのかは分からない。あとはココ次第。
..もうゆっくりしようね。
最期は苦しまずに..と本当に心から願う。
ありがとう、ココ。
【追記】
最期はゆっくり休んでもらいたいという想いから、昼以降別室にいるココ。ゆっくり..といいながら心配で1時間もしないうちに様子を見に行くことを繰り返す。
午後10時30分、まだこちらを見てくれるものの目は完全には開かず見えていないのかも..。
昼より明らかに衰え、ただただ呼吸をしている感じ...。
今夜~明日がその時なのかも..。
その部屋で今日は一緒に寝るか?と考えるも、それもストレスか...。