学校の宿題を買う時代??についての個人的意見

夏休みの宿題と言えば「夏休みの友(古い?)」「読書感想文」「何かの図画工作」「自由研究」が主なものだったと記憶してます。

中でも私にとって強敵だったのが「読書感想文」と「自由研究」でした。ここだけの話近い年代に兄弟がいたので、自由研究でどうにもならなくなるとお兄ちゃんが当時出したのをごまかして出してたこともあったっけ・・・。

そんな夏休みの宿題をどこかで売る・買うというのが出てきてるっていうのが毎年毎年夏休みの最後になるとニュースで取り上げられていますね。

ワイドショーなんかだといるのか?いらないのか?論になってて、さらに売る人が悪い?買う人が悪い?となってますけど、どうでもいいのではないでしょうか??

資本主義の経済活動って何かの対価としてお金が交換される・・・というものですから、宿題の代行をしてお金を稼ごうとする人がいて、学校の宿題なんかよりも塾で勉強させてテストだけ高得点出せばいいと思っている親が買って・・・で確実に経済成長するんですからね。〇〇バウンドってやつです。

最終的に大変なのは学校の先生だと思います。ガバっと提出されたものが生徒自身でやったものなのかどうかも分からず(文章なんかは見たら分かると思うのですが・・・)全部に目を通さなくてはならないのですから・・。

思うに最低限の学力水準を保ちたい訳ですから、先生が見る前に意思表示してもらえばいい話なのかなぁと感じます。

学校の宿題が無駄だと思っている親がいるから宿題代行というのを利用するんですから、提出物に「これは代行を利用して作成しました」って添付させればいいんですよ。だって親はやらせない意思を持ってるんですからきちんと意思表示してもらえばいい、そういうことです。

かわいそうなのは子供の方。買った宿題なのに(自分でやったものではないのに)提出してるんですから、良心の呵責がきっとあると思います。買った宿題が授業で「こんなすばらしいものがあった」なんて紹介されたりしたら更に罪悪感は深まるでしょうね。でもこれがずっと続いていくと・・・学校の宿題は当然買うものなんて意識になっていき、その子が大人になったら・・・ちょっと恐ろしい感じがしますね。

だから、親も子供も承知の上ですよ!ということで「買いました」と添付させるのはとても大事だと思います。そして先生はそれを無視してきちんとやった子のだけ見ればいいんですよ。評価もすればいいんですよ。そうしないからどこかの研究でどこかからコピペした研究結果が・・・なんて事件が起きちゃうんですよ、きっと。

コピーしたならコピーした、誰かにやってもらったならやってもらった、と進言するように子供の頃から教えておけばこんなことは起こりませんし、「バレたらやめればいい」という発想も少なくなっていくのでは?と感じます。

夏休みの宿題なんてなくせばいい!という極論に至る人も多くいますけど、私は学習塾に通ったことがありません(経済的な理由も含めて)から、今思うと「どうやって勉強したらいいのか?」を示してくれる宿題はとてもありがたかったなぁと今では思っています(面倒だなぁ・・・と思いながらやって提出してたことを大変申し訳なく思ってます)。

宿題にはそれぞれ

  1. 親にやってもらった(親が買ってきた)
  2. 親に手伝ってもらった
  3. 自分でやる気をもってやった
  4. 提出するために適当にやった

っていうのを自己評価として書かせて親のサイン入りで添付させ、それを見て先生は見る/見ないの判断をする、これが一番の解決方法だと思います。

学校教育に携わったことはありませんので、それらの評価がどうなってて、受験などでどう算入されるのかは分かりませんけどきっちりそれも参入した上で評点をつけたらいいと思います(1つ1つ開示すると姑息な手段を使う親がいると思うので総合評価みたいにしてやればよし)。

何かいいがかり付けてくる親がいたら証拠突きつけてやればいいんですからね。

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