卵が先かにわとりが先か

公開日: 更新日: 地域猫日記

私が移り住んだ場所にたまたま猫がいて、その猫は近所の方によってお世話されていて、そこで少しでも役に立てれば・・・と、様子を見に行ったり定期的にエサや水のチェックに行ったりしてきましたが、ふと思う事が。

それは
もともと猫がいたから世話をする人が現れたのか
世話する人がいるから猫が増えたのか

ということ。

ここの猫たちの起源はどうなんだろう、野良猫がいたからエサをあげて定着してというのが恐らくスタートなんだと思いますが、歴史を聞く限り、当初世話をしていた人はもう既にこの地域にはいない、その後の人もまたこの地域から離れ、現在・・・という感じみたいですが、これもまた「捨て猫」と同じことなのでは?なんて思えてきます。

確かにここの仔たちは避妊去勢されていてこれ以降理論的には新しく猫が殖えることはないのですが、その猫の世話をする人がいなくなるのはどう?と考えてしまいます。誰かがやるから・・・と考えているならそれは本当に「捨て猫」をする人と同じなんじゃないかな?と思います。

私も行けるときには行きますが、自身の都合に合わせて時間もバラバラだし行かないときもある。そして、「いる」か「いない」かは確認するけどいなかったらどうなの?というと、そのうち来るだろうと考えるし、どこに行ったんだろうと思うだけ。要するに、自分の都合で行ったときに見る猫たちの姿以外は何も知らないということです。

ここの仔たちを飼ってくれる人を探してあげるのが本来の姿で、ここにいることを前提に生活の糧であるエサやりをすることが決していいことではないような気がします。

捨てられた仔猫は里親が見つかる確率が高いから保護してあげるの?ということです。

前にババア?に「飼えばいい!」と言われましたがまさにその通りかもしれません。

残念ながら私にはこの仔たちがすべていなくなる(天寿を全うする)まで確実にお世話できるのか?と言われれば答えは「ノー」となります。引っ越してしまうかもしれませんし、何かがあってお世話できなくなるかもしれませんから・・・。ということは私もご都合主義なんだなぁというのが最近になって自己認識できるようになってきました。

それなら・・・という訳でもあるようなないようなですが、

最近では一人で猫たちに会いに行くとき、エサを持って行かないようにしています。それによってあまり出てこなくもなったのですが、それはそれで猫たちが「エサをくれている人じゃない」と認識しているということで、猫と私は所詮「エサをくれることだけでつながっている関係」だったのだと

以降の行動で分かってきました。

ここには10年以上世話をしている方?がいるわけですから、後生お世話をできるわけでもない私はこのまま「遠くからの関わり」だけにしようと思います。

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